山から降りてきた若者たちは、その時点で全員正気を失っていた。
視点は定まらず、口にする言葉も意味不明だった。
若者たちは皆血まみれで、まともに歩くことすらできなかった。
近所の住民に発見され、すぐにパトカーと救急車で市内の病院へと搬送された。
そしてしばらく経った、1987年5月7日。
メンバーの一人だった葉山伸次郎(当時19)が、自宅のマンション12階の階段の踊り場から飛び降り、死亡した。
多数の目撃者がいたため、自殺であることは明らかだった。
彼の死体のポケットから、奇妙な紙片が見つかった。
そこには、こう記されていた。
『崇拝するシラノの元へ、我が胴体を捧げる』
警察の捜査では、精神失調状態にあった若者の自殺であり、事件性はないと判断された。
しかし、それから13日後の5月20日、事件は再び起こってしまう。
葉山伸次郎と同じオカルトサークルのメンバーだった杉崎洋子(当時21)が、自宅のガレージ内にて首吊り死体で見つかったのだ。
彼女のポケットからも、奇妙な紙片が見つかった。
『崇拝するシラノの元へ、我が右腕を捧げる』
その後も13日周期で、オカルトメンバーの自殺は続いた。
6月2日には星野光(当時20)が、自宅の風呂場で手首を切った状態で発見された。
ポケットからは、また奇妙な紙が見つかっている。
『崇拝するシラノの元へ、我が左腕を捧げる』
異常事態に様々な憶測が飛び交う中、6月15日に柳田淳史(当時18)が電車に飛び込んで自殺した。
ポケットには紙片が入っており、彼も次元の犠牲者であることは明らかだった。
『崇拝するシラノの元へ、我が左脚を捧げる』
この頃になると、この連続自殺事件をマスコミも大々的に取り上げるようになった。
様々な憶測が飛び交い、まだ犠牲者が出るのかと注目が集まる中、また1人の若者が命を絶つ。
6月28日、北澤ほのか(当時20)の死体が密閉された室内で見つかった。
司法解剖の結果、彼女はガス中毒による自殺と判明。
何らの事件性も見られなかったが、ほかの自殺者と同じくポケットには紙片が入っていた。
『崇拝するシラノの元へ、我が右脚を捧げる』
そして、7月11日、6人目の犠牲者が発見される。
白木豪雪(当時21)が、自室でヒ素を飲み下し自殺した。
彼のポケットに入っていた紙の文章は、次のものであった。
『崇拝するシラノの元へ、我が頭を捧げる』
この白木豪雪が、この事件の最後の犠牲者となった。
これ以降、この事件に関わると考えられる死者は発生していない。
《管理人イマオカによる考察》
当時はまだネットが発達していない時代だったが、それでもこの事件は、あまりの不可解さから様々な憶測を呼んだ。
以下、当時唱えられていた説をいくつか挙げていく。
・集団ヒステリー説
ある心理学者は、この事件をある種の集団ヒステリーが起こしたものだと提言した。
ファティマの奇跡を引用するまでもなく、大人数が同時に幻覚を見た事例は世界中で枚挙にいとまがない。
だが、それが集団自殺にまで展開した事例は存在せず、この説は説得力に欠ける。
・麻薬シンジケートによる暗殺説
あるジャーナリストが発表した説である。
大学内で麻薬を売りさばいていたメンバーが、麻薬シンジケートによって何らかの報復をされたという説だ。
しかし、そうだとすると謎の紙片はなんなのだろうか。妥当性のある理由を見出すことができない。
・降霊術によって引き起こされた呪い説
管理人は、この説を最有力視していた。
彼らはなんらかの存在を降霊し、その代償として精神に異常を来たし、自ら命を絶った、あるいは、絶たざるを得なかったという説だ。
この説はマスコミでも頻りに取り上げられ、いつしか本事件は『血の人形事件』と呼ばれるに至った。
多くの謎を残しながら終息したこのミステリアスな事件は、今なお多くの人々の記憶に残っている。
【補足】管理人イマオカによる『血の人形事件』の取材記事